17年4ヶ月歳

 

 

ラムが息を引き取た日、母と深夜に大型スーパーへドライアイスを買いにいった。母はここ数年間つきっきりでラムを見守っていたため、動物病院以外の外出を殆どしていなかった。久しぶりの深夜のお出掛けに「あれだね、ヤンキーだね」とはしゃいでいた。

(夜の運転が久しぶりだった母の運転はノロノロフラフラでそれも面白かった)

 

ふたりとも来たことがない24時間営業の大型スーパーは迷路で、中々ドライアイスが見つからない。店員さんに声をかけドライアイスがないか尋ねた。「ちなみに何に使うのですか?」と逆に尋ねられ正直に答えられず、母が食べ物を持ち運ぶのにと適当に嘘をついていた。

 

大型スーパーに来たことで、はしゃいで色んな食材をカートに入れていると、お花コーナーをみつけた。色んなお花があったけど、薄紫や薄ピンクの大きい鈴蘭のような花束がかわいくみえて満場一致で購入した。

 

帰宅後、花瓶探しに苦戦しつつもその花をラムの近くに飾った。似合うけど、ラムは花なんて好きじゃないから不自然だった。

続いて、ラムがお腹を空いているのではないかと、いつも食べていたご飯を用意した。

ラムは最期のときまで食欲だけはあった。食い意地は、健全だった。

出来上がったご飯を母がラムの側に持ってきて「ラムさんご飯ですよ、おかしも乗ってて豪華ですねー」と言って、寝顔の横に並べた。

 

途端に涙が溢れた。だって、ご飯を目の前にして動かなかったラムなんて見たことがなかった。ご飯を側に置いても眠り続ける姿に、本当に生きていないんだということを突きつけられた。私は堪らなくなって、母にご飯をのせる台にお皿を移動するように言った。

 

明日は火葬である。

 

ここで大きな問題に直面した。

遺体があまりにも、かわいすぎる。

鼻先や顔、手足が冷たくなっていて、安置するため、からだの至るところにドライアイスを並べ、なるべく冷やしている状況だった。それでも、こう、いつものように顔回りや、からだの毛を撫でていると体温のような温かさを感じて、それだけでもう後ろ姿は生きている姿同然なのだ。この夜が終わり、次の日になればもう撫でることは二度とできない。まだ温かいのに。へんな匂いだってしない。反応がないだけでいつもどおり。魂はまだからだのなかなかにいるかもしれない。

 

ラムのいない人生は、この家族は17年以上、私は七歳より先から経験していない。

 

これからどうやって息をすればいいんだろう。ラムを愛することで救われていた感情がありすぎて、もう無理だって本当に思う。

四六時中つきっきりで常にラムのことを考えて、ラムが中心の生活だった母は尚更だろう。献身的な母だから、この先の生きる意味や頑張る理由がほぼ失ったと思っていたらどうしよう。ラム、ほら、ラムがいなくなったせいで、みんなが悲しくて辛くて苦しくてやばいよ。ふとしたときにね、ラムことを思うとね、寂しくて息ができないくらい泣いてしまっているよ。

 

まだ救いのある事に目を向けるなら、私目線からすると、帰省中に看取れたことは本当に奇跡だとおもう。

母から、からだの不調は度々聞いてはいたけど、「ご飯は食べれてるの?」と聞くとほぼYESと返ってきた。周りでもご飯を食べられなくなったらヤバいと聞いていたのもあり、まだ大丈夫だべと安心していた。

 

帰省3日目の朝から様子が若干おかしくて、口呼吸が多くなり吐き気かと思って対応してた。洗顔しているときに母から「ラムがおかしい!」

と、呼ばれ、そこからものの数分で息を引き取った。

最期は、母の腕のなかで亡くなった。

 

 

最期にラムは何回か吠えていた。

苦しかったのか、おかんありがとうといっていたのか。

母もそれに答えるように話しかけていた。

 

 

私が帰ってきた夜も、本当に久しぶりに鳴いたようで母が驚いていた。

人の勝手な解釈でしかないけど、もしかしたら私の帰りを待っていてくれたのかもしれない。いつも、帰って来てもクンクンだけして甘えてこなかったくせに。

 

火葬当日

 

なにか遺せないか、という思考が巡り、各々すきな部位の毛をハサミで切り取った。私はラムの耳を触るのが好きだったので耳毛を拝借した。

あと、足跡も残せるように弟と近くのホームセンターへ行き、判子の朱肉や色紙、絵の具を買った。これを読んでいる方が今後同じことをしたいと思った時の参考に、結論、朱肉は足跡が上手くつかず全く無意味だったので絵の具一択ということを伝えたい。我々はこれをしらずホームセンターを2往復してしまった。ここまで頑張ったので流石にしっかり足跡を残したいあまり、ラムの足をギュッと押し潰すようなことをしてしまった。リアルだったら歯をむき出してぶちギレているだろう。ごめんね(笑)とみんなで声にして謝った。

 

無事、色紙に足跡を残し、形見も作れた。

 

祖母も合流し、火葬場へ向かう。

私は人生初の火葬だった。

事前に母から「フライパンみたいなのではさまれるよ、やだよ」と聞いていたのである種の工場のような場所を想定していた。

結論、全く工場ではなく、寧ろ大変丁重にラムを受け入れてくれた。ラムと一緒に燃えてくれる数珠やお守りや三途の川を渡る為の何か等々、前足に添える行程があった。「毛布などは一緒に入れられません」と以前に言われ、心配していたのは取り越し苦労で、代わりに身体を包んでくれる布は絹製のキラキラしたかわいいものだった。周りにお花を添えて、生前好きだったご飯を添えることができた。最期まで愛させてくれる状況が整われていた。死ぬ程咽び鳴くと思っていたけれど、ラムとお別れする哀しと同じくらい、強く強く「ありがとう」と伝えたかった。この世界に生まれたあなたと生きることができて、愛させてくれる存在としてあり続けてくれて、本当にありがとう。

 

ついにお別れがやってきて、鉄の扉がしまった。思い出したくない。

もう苦しくて寂しくて頭がいたい。恐らく家族全員がそうだった。

 

しんどい気持ちを抱え、待機室へ移動してから1時間後、遺骨を納骨する。

 

ラムの骨は一部茶色く焦げていたり、水色がかったりしていたものの、大半が思っていたよりきれいに残っていた。老犬で骨に十分に栄養がないと殆ど燃えてしまう犬も多いらしい。一番きれいに残っていた顎の骨をみて、やっぱり食い意地は骨をみても分かるねと母と笑った。

 

 

これからのラムのいない日常が始まる。家族のなかで、ラムは常に中心だった。しゃべれないけど、感情が誰より豊かで、悪く言うとわがままなお姫様のような存在だった。気軽に触ることを許さないし、かといってよしよモードが始まると止めないでと言わんばかりに手を伸ばしてきた。犬にしては自我がありすぎるし、すぐ人間の食べ物をこっそり見つけて食べちゃっうし。ここだけの話、過去に「信玄餅」「ミスド」「チョコチップクッキー」などここでは書ききれない程の大罪(お留守番中勝手に食べていた)を犯している。なんとも困った食いしん坊な姫である。

 

17年4ヶ月、そんなラムに振り回される日々が何よりも愛しいと思って過ごしていた。

ペットロスがどういうものなのか、正直、実感が生まれるのはもう少し先なのかもしれない。

ただ、ラムが亡くなった数日間があまりにも、突然で、イレギュラーで、しんどくて、でも大好きすぎて、目まぐるしい3日間をどうかここに残させて下さい。

 

たぶん一生この哀しみや寂しさは私達が死ぬまで乗り越えられないと思いながらも、

ラムの魂が死んだことに気づかず、まだそこらへんで食べかすを探していることを想像して、笑って過ごしてみます。

 

 

 


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若かりしころのラム

 


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寝顔は静かで可愛かったのでたくさん残ってる

 


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おばあさんになってもなんてかわいい寝顔

 


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サマーカットもいけてるよ